YOSHIMI

吹奏楽の魅力

私がクラリネットと出会ったのは、中学の吹奏楽部。
吹奏楽部に入ったきっかけは、小学生の時に演奏に来てくれた中学校吹奏楽部の演奏。
エレキベースの人かっこいい!がきっかけだったのですが(笑)
入学式で聞いた、その時はなんの曲かわからなかった『春の猟犬』がゾクゾクするほどかっこよかったこと。

楽器の希望はなく、楽器巡りで鳴ったのはクラリネットとサックスだけで、先生に「お前はクラリネット」の一声で決まりました。

その中学は、数年前からコンクールでは奈良県代表に選ばれていて、関西大会では銅賞。
休みはほぼなし。
私が1年生の時、A組に人数制限で出られない2年生と、1年生全員で吹奏楽コンクールC組(今のJ)に初めて出ることが決定し、初出場で銀賞。
A組は、関西大会で初めて銀賞を獲ることができ、勢いのある学校でした。

昭和ではよくあった根性論な先生ではあったけど、カリスマ性のある先生。
その先生が常におっしゃってたのは
『コンクールだけのバンドになってほしくない、いい音楽ができるバンドにしたい』

いい音楽とは??

3年になってやっとわかってきたこの言葉。
50人全員が集中し、音が一つになった時、
足の先から上にゾワゾワと鳥肌がたつ
なんとも言えない一体感

2.3年生仲もよかったこの年、関西大会で初の金賞。代表にはなれない、今で言うダメ金ではあったけどそれ以上のものを感じていました。

その後もクラリネットを続け、高校、大学でもOBとして中学へ行き後輩を教え
演奏会で一緒に吹く。
卒業しても先生の指揮で音楽を作ることが楽しかった。
大阪音楽大学短期大学でも吹奏楽を学びました。

しかし、ふとしたきっかけからクラリネットも吹奏楽にも一切関わらなくなり、そのまま17年が過ぎました。

先生が母校に戻ってこられてるから演奏会行かへん?
来年ホールで演奏会するらしいし、一緒にクラリネットまた始めへん?

同級生に言われたけど、まだ吹く気にはならず。
しかし、名前も忘れてしまっていた5つ下の後輩から
「また先輩と一緒に吹きたいです!」の言葉に動かされ、クラリネットを再開。

高校から大学では苦痛だったエチュード、それが楽しく思える。
あの頃は吹かされていたのかもしれない。
大学受験のための演奏だったり、ただ授業をこなしていたり。

今は年齢も重ね、上達するスピードは遅いけど、少しずつ上達してる自分を客観的に見て
この歳でも上手くなれるんだ!
大学の時より今の方が楽しい!と思えます。

そして、大学時代の同期と再会し、
一緒に吹奏楽に関わったきっかけでコンクール前に中学生の練習をみることに。
この場に入ることに抵抗はなかった。
一言のアドバイスですぐ反応する中学生。

そんな中学生と関わっている時に出てきた
『地域移行(展開)』
子どもたちの音楽の場をなくすわけにはいかないと立ち上がった同期に迷いなく同意し関わることに。
それがこの『こどもゆめひろば』

地域バンドの子どもたちが
自分を表現できる場を、
そして仲間と一緒に『いい音楽』をする楽しみを感じてほしい。

佳美

関連記事